臍を食む 裏テーマ

臍を食む 裏テーマ



Hallo world



















今回の裏テーマは

主人公、そして救うことへのアンチテーゼです。


まず、大前提として絵文字がよく言う『見』るということ

何か事実を知るということを含んでいます。

(伝書に「やっとこっちを『見』たな」と処刑の袂編で言ったのもそう言うこと)


人は何かを『見』るつまり、新しい事実を知ると考えが変わります。


例をひとつ話しましょう。

「この男は人を殺した」

これを聞くと多くの人がこの男を「悪人」だと思います

しかしこうするとどうでしょう?

「この男は誘拐された人々を救うために犯人を殺した」

「人々を救うため」これだけで「悪人」は「英雄」になります。

実際、殺したことへの是非はあってもやっていることは間違ってないでしょう。

しかし、「人々をを救うため」と言うことを知らない

つまり、『見』えていな人々は

「英雄」を「悪人」だと非難します。


そして、ここからが本題これは

救うことにも関係しています。


今回まで、絵文字は可哀想な人、死にたがりと言われてきましたが

決してそんなことはないのです。


彼は、生と死に無頓着で伝書桜の与えた罪も

「生きるための理由」ではなく「生きなきゃいけない理由」

でしかないのです。

しかし、これは、可哀想なことではありません。坂野政とはそういう男なのです。

なのに、そんな人を可哀想と思うなんて、ましてや救おうと思うなんて


傲慢ではありませんか?


これが今回の臍を食むのテーマです。

ちなみに臍を食むと言うテーマには2つの意味があり。


一つ目は、臍を食うつまり、臍の緒から食うと言うことで幼児化を表しており。

二つ目は

元からそうなのだから手遅れ、どれだけ救おうとしても無駄

という意味になっています。









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